こども家庭庁は必要なのか否か
よくこんなにも分断を生む政策ができるもんだと悪い意味で感心してしまう。
これぞ「子連れ様」の代表格と言っても良い優遇策ではないか。
おそらくこの制度を率先して使える人は普段から子連れ様特権を振りかざす人だろうと思う。
まともな子育てをしている人であれば「並んでいる人を追い越すのは気まずい」となるのではないか。
誠実な人がバカを見る、とんでもない制度と言える。
記事内にもあるが「事前に整理券を発行して並ばずに入場できるようにする」のが平等であり公益性があるのではないかと思う。
これほど優遇せねば子どもを産めぬというのであれば、最早産んでもらわなくても良いのではなかろうか。
人間が増えすぎたがゆえの行列なのだし減らした方が行列も減って良いのではないか。
さて、少子化の問題といえば税収が悪化してインフラや高齢者福祉に資金をさけなくなるという点であろうが、こんなに優遇に身を漬けて育てた子孫らが他者を尊重するような考えを持つだろうか。
今の若者でさえさも"自力と親の力だけで育ちました"と言わんばかりに高齢者を老害と罵り、上司を無能と蔑むのだから察することができそうなものである。
私が学生の頃などは親が中卒であるのも珍しくはなかったため、親世代を「中卒のくせに」と罵る者がいたくらいだ。
今後は「高卒のくせに、大学も出てないくせに」となっていくのであろう。
先人が収めた税金も整えたインフラも"あって当たり前"と考えるようになるのではないか。
それならば限られた資源、資産を有効に活用するために国民を何か所かに集めてインフラ設備を縮小させたり、ある程度の年齢で人生をまっとうしてもらったり、第一次産業を優遇したほうが良い。
人間は足るを知ることが一番大切だ。
足らぬのなら消費を減らしていくしかないのだ。
それに不満を持ち「もっと豊かな生活をしたい」と人々が思い始めればまた子どもは増えていくだろう。
先進国は少子化が進み発展途上国はいまだ子が多い理由もそこではないかと思う。
働き手として国の担い手として真に必要だとなれば人々は誰に求められなくても"自分に必要だから"子を成すようになる。
今ではヤングケアラーなどと問題視されているが、単に成人とされる年齢が上がっただけで昔から下の子の面倒は上の子に任せて親は働きに出ていたし、丁稚奉公などもあった。
10代にさしかかれば親の手伝いで仕事に駆り出されるようになり、18そこらでは家庭を成していたのである。
だからこそ昔の人や発展途上国の人々は働き手としての子を欲するのだ。
現代では子どもは負担となる部分が多い。
成人するまで面倒をみなくてはならず、成人してからも子が問題を起こせば親も一蓮托生とばかりに責任を求められる。
法律では18歳に引き下げられても大学を卒業する22~23歳までは養育していく家庭がほとんどであろう。
22年にもわたる長期投資の先にあるものがどれほどのものなのか。
これほど投資効率の悪投資先はない。
冷静に物事を考える人ほど子を成すことから遠ざかるのは必然と言える。
少子化を解決するためにはこの負担部分を減らすことから考えた方が良い。
まず養育期間は中学卒業までとし、高校から大学までは義務教育ではなく高等教育として位置付ける。
貧困家庭を無理に国費で支えるのではなく働き手として開放してしまうのだ。
親も子育ての負担から解放される。
最低賃金をどんどん上げて中卒でも必要最低限の生活を賄えるようにしていく、成績優秀者であれば返済不要の奨学金を給付し高等教育を受けさせる。
高等教育を受ける人数を減らすことで希少価値を高め、高等教育を成した人材の給与が上がるように仕向けるのだ。
技術の習得は幼いころから取り組んだほうが良いことは周知の事実であるからして、日本人が得意とするモノづくりにおいても若いうちから取り組めた方が利があるだろう。
アニメやゲーム業界でも基礎を教える専門学校などが増えているが、そもそもその企業に必要な技術は企業が教えるべきなのだ。
子どもや親から学費を搾取して育てるべきではない。
その教育段階を家庭に押し付けておきながらなお新卒採用にこだわる企業にも鉄槌をくだすべきであろう。
学歴で選ぶようであればその学歴自体を絞って嫌でも中卒や高卒を自ら育てなければ現場が回らないようにしてしまえば良いのだ。
優遇するのではなく冷遇することで好転することもあるのではないだろうか。