やす子さんの示した一歩
※タイトルはAIを使用しております
典型的ないじめっ子ムーブであるとしてフワちゃんが炎上している。
迅速なる証拠隠滅と謝罪をもって事を収めようとした点もまさに"いじめっ子"のやり口であるともっぱらの評である。
果ては「仲直りした写真を公開しろ」とアドバイスしたカンニング竹山さんにまで「ことなかれ主義の教師みたいな対応するな」と火の粉が降りかかっている模様。
さて、この件について好感度低めな方々が「当人同士の問題で外野が騒ぐな」だとか「これくらいの失言はよくあること」と批判するSNS民に噛みついたりしているわけだが、自分は"外野も我が事として騒ぐべし"と思っている。
なぜならば、このような行為はターゲットを巧妙に見定めて行われているからだ。
「この人になら反発されてもいなせる、影響はない」と侮られた人がターゲットになるのである。
周囲が「当人同士の問題だ」と放置すれば高い確率で攻撃された方が負ける。
そしてターゲットが敗北したらまた新しいターゲットが設定されるのだ。
いじめとは加害者はほぼ固定だが被害者はローテーション制でぐるぐる回っている。
いじめを止めるためにはローテーションメンバーに入る可能性がある者たちが集団で戦うしかないのだ。
ここで「巻き込まれたくない」などと傍観者を気取る人がいると一気にターゲット側が不利になる。
いじめにおいて傍観者は共犯者である。
それも踏まえていじめを無くすにはきっちりとまだターゲットとなっていない人も揃って抗議する必要がある。
「当事者同士の問題」としたい方々もなかなかのいじめっ子ムーブだと個人的には思う。
強者は集団でしか力を示せないものを見下すのではなく助ける存在であってほしいものだ。
さて、芸能界というのはある種特殊な場所であり、"いじめ"を"いじり"としネタの一部として扱う風潮がある。
影響されやすいこどもたちが真似てもしかたないと思えるほどに様々な"いじり"がそこには存在する。
一部では本件においても「笑いに昇華しろよ」などというコメントもあるほどに"いじり"はなぜか"いじめ"と区別されているのだ。
今回やす子さんが「これは"いじり"ではない」と示したことは大きな一歩になるのではないか。
ただ一つだけ注意したいのは抗議とフワちゃんへの誹謗中傷は分けて考えるべきという点である。
私たちはただ「今回の件は許されない」「やす子さんの味方は大勢いる」と示すだけで十分ではないか。
不買活動や「出演番組は見ない」と主張するのも良かろうが、そこに「もう終わりだな」だとか「消えろ」などと付け加える必要はない。
「私たちはそれを受け入れない」と主張した後は距離を取る。
それだけで事は収まるのではないだろうか。